2011年11月25日金曜日

金沢で思い出した尾崎行雄の「非国民たれ」

金沢連合会のお誘いがあって、「秋の講演会」で講師をつとめることになった。高知から金沢までJRで旅した。太平洋から瀬戸内海、琵琶湖(淡の海)、そして日本海と四つの海を車窓に眺めた。なかなかない旅である。

金沢にはふるさと偉人館があり、講演の朝訪ねた。八田与一の展示を確認するためだったのだが、金沢には明治以降、多くの偉人を輩出していることをあらためて知らされた。高知で「龍馬。龍馬」と騒いでいる場合でないと思わされた。

高峰譲吉はアドレナリンなどの発見で世界的な科学者だ。ノーベル医学賞をとってもおかしくない業績を残した。その展示で見つけたのは「ワシントンのポトマック河のサクラ植樹に資金を提供したのは高峰譲吉である」との説明であった。

あのサクラは 世界連邦運動協会の初代会長の尾崎行雄が東京市長時代にワシントン市との友好を願って寄贈したものだと思っていた。当然、資金は東京市が負担したのだと思っていたらそうではなかった。高峰譲吉は当時、自分の発明を企業化する、いまでいうところのベンチャー企業家だった。

世界連邦運動との面白いつながりを発見した思いだった。

その尾崎行雄は生前、とんでもないことを言っている。「非国民たれ」というのだ。国があるから争う、というより、国家は争う目的でつくられたという方が正しいかもしれない。

昔の人はすごいことを平然と言ってのける。尾崎によれば、有為の武士たちが脱藩して近代日本をつくったのだから、同じことを地球規模でやればいいということになる。その有為の武士たちによる脱藩という行為こそが「非国民」なのだ。

ひょっとしたら「歴史」もまた「国威」とつながる可能性を秘めている。「日本外史」が書かれたのは、幕末に外敵が現れたからで、敵が出現しなければ、武士たちが「日本」をあれほど意識することはなかったはずだ。