2011年9月23日金曜日

10月22日に松山で四国ブロック大会

 四国4県の世界連邦支部は10月22日、松山市総合コミュニティーセンターで四国ブロック大会を開催する。第38回目の開催となる。
大会では記念講演として、広島修道大学教授の城忠章氏が「欧州統合からにた世界連邦の近未来」と題して記念講演する。
四国ブロックは昭和38年に高松市でブロック大会を皮切りに4県持ち回りで大会を開催してきた。かつて世界連邦運動が盛んだったことには県庁所在地以外にも、南国市、琴平町、土佐清水市、大洲市、新居浜市などでもブロック大会を開催するなどユニークな活動を繰り広げてきた。
四国地区の世界連邦宣言自治体は香川県、愛媛県、高知県のほか、27市町で行われている。
また支部は徳島、香川、高知のほか、愛媛では松山、新居浜、大洲に支部が置かれている。
現在四国ブロックの代表は松山市の中山淳氏が務めている。

筋金入りの世界連邦論者だった亡夫 山口末子【運動を支えた人々01】

高知支部には97歳の会員が2人いる。奥山さんと山口末子さん。末子さんは日本大会の常連でもあるので多くの会員はご存知であろうと思う。先日、秋の四国ブロック大会の準備会のため末子さんと松山市までご一緒した。車中で世界連邦との出会いについて話を聞いた。


世界連邦運動はもともと亡夫が高知で旗を振っていたことから「いつから」とはいえないという。ご主人は小笠原論文といった。奉天市に奉職中に終戦を迎えシベリア抑留となった。運よく1948年に高知に帰ることができた。シベリア抑留の体験から戦争絶滅の運動を開始した。世界連邦運動は第一回会合から参加した筋金入りの会員である。

 高知支部は、高知の良心の一人ともいわれる中澤寅吉氏が創設した。中澤薬業という医薬品の卸業を四国最大の企業に育てる一方、敬虔なキリスト教徒として知られた。世界連邦運動の立役者、賀川豊彦が高知に来た時は必ず、中澤氏の家に泊まったという。小笠原氏は当然、高知支部に合流し長年、事務局長として支部運営を支えた。
 全国どこの支部で同じだったと思うが、地元政財界がこぞって世界連邦運動を支援した時代があった。高知支部の場合、高知新聞社長や高知大学学長までが参画する国民的運動だったのである。

小笠原氏の面白いところは、末子さんと結婚しても姓を変えなかったことである。夫婦別姓で何が悪いと考える人物だった。しかし子供が大きくなって「どうして両親の姓が違うのか」を悩み始めると、「そんなら今日から山口を名乗る」と潔く妻の姓を名乗ることになった。それから山口論文となった。

末子さんの家業は万年筆屋「白亜堂」。「家業はぜんぜん手伝いません。お客が店に来ても口もきかんのです」「世界を廃藩置県せにゃならんというのが口癖でした。全国の同志と交流する日々で何冊も世界連邦に関する本を執筆しました」。

有名なのは『次の時代の行動原理』なのだそうだが、近いうちにお借りすることになっている。(伴 武澄)

志は大きく、敗北主義はだめ、転換期にジョージとトシキ関係

Q:このたびは桐花大綬章の受章おめでとうございます。海部さんは1989年から約2年半にわたり首相をつとめられました。当時は国際政治の大転換期でした。ベルリンの壁の崩壊があり、東西冷戦構造が消滅し、湾岸戦争も起き、日本の自衛隊のあり方も問われました。経済面では日米構造協議というかつてない困難な問題に直面しましたが、ブッシュ大統領とはジョージ、トシキと呼び合う信頼関係をつくりました。



海部会長:中曽根首相とレーガン大統領に続いてジョージとトシキの関係をつくれたのは大きかった。ジョージは気配りの人で正月の朝、まだ官邸に誰もいない時間帯に国際電話がかかり、直接出ると交換手が「プレジデント・イズ・オン・ザ・ライン」というのです。続いてジョージが「ハッピー・ニューイヤー」と電話に出たのでびっくり。ワシントンではまだ大晦日なんですよね。日本の時間に合わせてわざわざ電話してくれたのです。日米構造協議の最中で、こういう人のためならばと思わせるものがありました。
Q 海部さんといえば、90年のヒューストン・サミットでサッチャー首相やマルルーニ首相らを大笑わせたエピソードがあります。あの時、いったい何と言って笑わせたのですか。
海部会長:カナダのマルルーニ首相が「テキサスは暑すぎる」と繰り返していて「もう倒れそうだ」とこっちに寄りかかってきたのです。とっさに「アイ・アム・ノット・ストロング・イナフ」「倒れるんなら向こうに鉄の女がいるから、向こうに倒れろ」って言ったんです。そしたらブッシュ大統領らが大笑いになりました。その写真が新聞に大きく掲載されて、朝日新聞は「7月10日は海部記念日」と書いてくれました。
Q:ところで高度成長期に日本の役割を考えられ、現在の青年海外協力隊を創設されたのは海部さんとうかがっていますが。
海部会長:そうなんです。1964年でしたか。アメリカのケネディ大統領が平和部隊をつくって青年を海外に派遣しました。それにならって日本に青年海外奉仕隊をつくりました。小渕恵三さん、西岡武夫さん、民間では末次一郎さん等が一緒に手伝ってくれました。名称も奉仕でなく協力だ。青年海外協力隊が良いという事になりました。
大学を回って説明したところ「夢をもう一度ということか」といわれ、そんな気持ちではアジアは一つとはいえないと反論しました。日本が世界に貢献できるのは若者であると思ったのです。

Q:国境を越えて青年が活躍していけば、相互理解が一層深まります。世界連邦の考えとつながるものがあると思いますが。
海部会長:僕が中学生だったのは終戦直後でした。目的がなかった僕らを励ましてくれたのが東海中学の校長先生でした。林霊法という浄土宗の坊さんでした。後に知恩院の法主となられました。京都で開かれる弁論大会に出場しないかと言うのです。「平和国家建設と我ら」という題で7分間の弁論をしたら、優勝してしまいました。優勝旗を持って帰ってくると一番喜んで下さったのが林校長先生でした。翌朝全校生徒が集まる場で「海部君良くやった」と褒められました。弁論大会では何を話したのかよく覚えていませんが、平和憲法もまだ教えてもらっていなかった時代です。300万人の同胞の犠牲で体験した反省があり、スクラムを組んでノーと声を合わせるのが中学生の使命であるというような事を言いました。早稲田大学に入ってから世界連邦運動の誘いがありました。特に雄弁会会長の時子山常三郎先生(世界連邦運動協会第四代会長)が熱心でした。御自宅に伺うと世界連邦とは平和の為に必要不可欠と話されていた事を今でも忘れません。しかし、総論賛成で、米ソが仲良くなったり、そう簡単に世界が統一できるとは思いませんでした。

Q:首相在任中にベルリンの壁が崩壊する事件がありました。
海部会長 そうなんです。二つの対立がこんなに早く崩壊するとは思いませんでした。問題はそれで平和がやって来たわけではありません。米ソ対立が終われば平和がやってくると考えていまし、必ず自由主義社会が勝つと思っていました。しかし、そう簡単、単純ではありませんでした。
Q:世界連邦運動も総論賛成、各論反対が多いですね。
海部会長:そうですが、志は大きく、初めから敗北主義はいけません。小さくとも意志をもっていればやがて大きくなります(『志有竟成』)。菅直人首相は最小不幸社会を目指すのが政治だと言いましたが、それではだめです。やはり最大多数の最大幸福を求めていかなければなりません。世界連邦もそうです。
インタビュアー:伴武澄(執行理事)

2010年12月15日水曜日

海部会長が『政治とカネ』を上梓

 10日の理事会で、海部俊樹会長が先月、『政治とカネ』(平凡社新書)を上梓したことが紹介された。

席上、海部さんは「いろいろ書いたが全部ではない。書名を『我をもって古えとなす』にしたいと言ったのだが、編集者たちに従って『政治とカネ』というタイトルになった。もう6刷になっている」との話があった。

早速書店で購入して読んでみた。お金をばらまいたという話が何カ所か出てくる。野党にもばらまいたという話も出てくる。「ばらまかないと野党が寝てしまうんだ。自民党がそういう仕組みをつくっていたのだ」「配るのも苦労がいる」「これはネセサリーイーブルと思っていた」。

「うーん」。

海部さんは小沢一郎氏となんども仕事をするはめにはる。海部さんは小沢さんのことを「壊し屋」だと断定する。旧田中派の政治手法を最も継承しているのが小沢さんだも言う。

つくっては壊し、壊してはつくるのが小沢さんのやり方なのだそうだが、一度も首相になろうとしないのはなぜか。鄧小平もそうだったが、ナンバーツーであり続ければ、権力の中枢に残ることができるのである。

2010年12月10日金曜日

12月10日の本部理事会の議論

 今日、東京で世界連邦運動協会の理事会があった。荻田札幌支部長が10月の札幌での日本大会を総括した後、いつもの財政問題の討議に入った。小生が理事になってから、2カ月に1回のペースで理事会は開かれている。もう一つの重要議題は法人化の問題であるが、こちらは支部の一つである21世紀フォーラムのNPO化に関する報告が木戸常務理事からあった。

され財政問題である。協会本部は少数の多額の寄付によってこれまで活動を維持してきたが、昨今の経済情勢で多額の寄付が不可能になったことから、台所は火の車となった。月に20万円の家賃を支払っていた四谷のビルから超手狭の上野ビルに引っ越したがそれくらいのことでは財政は楽にならなかった。理事による寄付によってなんとかつないできたが、いつまで続くか分からない。

支部からの“協力金”の上積みという意見が出る一方で、理事の寄付の延長を求める意見。中期財政再建計画を策定するべきだ、あるいはそもそも財務委員会は何をしてきたのか・・・・・。

議論は尽きない。

小生が求めたのは、事業を起こし人を集め会員を増やすことしかない。何もしない本部に対して不満がないわけではない。お金の無心ばかりでは求心力は生まれない。国際平和協会も一時期、理事の寄付に頼ったことがあるが、3年しか続かなかった。そんな発言をしておいた。

2010年11月17日水曜日

尖閣諸島は東アジア共同体で共同管理せよ

世界連邦運動協会の四国地区支部は10月31日四国ブロック大会を高知市で開催し、欧州連合の発端となった欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)にならって「尖閣諸島を国際管理してはどうだろうか」という宣言文をまとめ発表した。日中の共同管理ではない。資源をめぐる争いを逆手にとり、国際的に「共同管理」することによって管理する国際機関を「東アジア共同体」につなげる発想は斬新で各国の理解を得やすい。平成版アジアの「船中八策」ともいえよう。

-----------------------------------------

2010年世界連邦四国地区ブロック大会宣言文

欧州連合(EU)は欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)からスタートした。ドイツとフランス国境のアルザスにある石炭と鉄鉱石を国際管理したのが始まりである。アルザスは100年以上にわたりドイツとフランスによって繰り返し国境線が書き改められた。その愚を繰り返さないためにフランス外相のシューマンが1950年に共同管理を提唱し、各国が賛同して翌年ECSCが誕生した。

振り返って東アジアはどうだろう。資源をめぐって角をつき合わせてはいないだろうか。9月には尖閣諸島海域で日本の巡視船に中国の漁船が衝突する事件が発生し、日中間は一気に不穏な政治情勢となった。南シナ海でもアセアン諸国が南沙諸島や西沙諸島をめぐって緊張関係を強いられている。特に日中間はここ5年、双方の努力によってようやく不信感をぬぐい去ったばかりで、たった一つの事件によって信頼関係はいとも簡単に崩壊の危機に向かっている。双方がナショナリズムを高め領有権を主張し続けるかぎり、東シナ海に平和は期待できない。

いっそのこと、シューマン外相にならって双方が領有権を「放棄」して東シナ海を共同管理してはどうだろうか。東シナ海、南シナ海、さらには日本海やオホーツク海は漁業を含めて豊かな資源に恵まれている。その資源を共同管理することは不可能なことではない。環境問題や生物多様性条約に見られるように、不可能どころか、いまや国や地域が共に汗を流し譲り合わなければならない時代に来ているのではないだろうか。

もちろん共同管理を考えることはたやすいことではない。アジアの代名詞は長い間、多様性だった。だからアジアに共同体はなじまないと考えられてきた。多様で違いがあるから分かり合えないのではない。時代に共生や協働が求められていると言えば分かりやすいかもしれない。もはや共通点を語り合えばいいという時代も過ぎ去った。求められているのは発想をさらに進めて「利害を捨てる」という発想だ。日本固有の領土であり譲りがたい尖閣諸島だが、ここから東アジア共同体が生まれるという発想には夢がある。

先人の志を受け継ぐ四国四県の仲間は、今年で37回を数える「世界連邦四国協議会総会」並びに「四国ブロック大会」をここ高知に結集して開催した。偉大な先覚者たちの偉業に学び、四国から世界連邦運動の再構築とその実現に向けた夢を描き、共に手を携えて、その実現に向け努力してゆくことを決意し、ここに宣言する。

2010年10月31日
第37回世界連邦四国協議会総会
2010年世界連邦四国ブロック大会

2010年11月14日日曜日

森健志郎氏「竜馬は生きている」をテーマに講演

10月31日、高知市で開催された四国ブロック大会の記念講演。
坂本竜馬記念館館長の森健志郎氏は「竜馬は生きている」をテーマに講演した。
2年前のNHK大河ドラマで山内一豊が取り上げられたばかりなのに、今年なぜ竜馬がという疑問があったが、NHKの人に言わせると「竜馬は全国区で高知ではない」ということだった。なるほど、そう言われればそういうことになる。
「龍馬伝」が始まる前から竜馬記念館には多くの人がくるようになった。普通、観光バスが連ねてくる風景を想像するが、竜馬さんの場合は一人旅や数人連れが多いのが特徴。
個人を対象とした記念館で年間来場数が一番多いのが岩手の宮沢賢治記念館で約17万人。竜馬記念館は二番目に多く14万人だった。ところが今年はすでに45万人に達している。いかに多くの竜馬ファンがいるかということが分かる。
私などは毎日、駐車場の整理に追われている。
月曜日の朝の仕事は、全国の竜馬ファンからの電話対応だ。職員は最初の電話が鳴ると顔を見合わせる。誰も取りたがらないのだ。前日の「龍馬伝」の内容に関するものばかりで、歴史と違うとか、弥太郎を汚く描きすぎだとか、長い人だと30分ぐらいおしゃべりをする。この対応がなかなか大変なのだ。