2011年9月23日金曜日

筋金入りの世界連邦論者だった亡夫 山口末子【運動を支えた人々01】

高知支部には97歳の会員が2人いる。奥山さんと山口末子さん。末子さんは日本大会の常連でもあるので多くの会員はご存知であろうと思う。先日、秋の四国ブロック大会の準備会のため末子さんと松山市までご一緒した。車中で世界連邦との出会いについて話を聞いた。


世界連邦運動はもともと亡夫が高知で旗を振っていたことから「いつから」とはいえないという。ご主人は小笠原論文といった。奉天市に奉職中に終戦を迎えシベリア抑留となった。運よく1948年に高知に帰ることができた。シベリア抑留の体験から戦争絶滅の運動を開始した。世界連邦運動は第一回会合から参加した筋金入りの会員である。

 高知支部は、高知の良心の一人ともいわれる中澤寅吉氏が創設した。中澤薬業という医薬品の卸業を四国最大の企業に育てる一方、敬虔なキリスト教徒として知られた。世界連邦運動の立役者、賀川豊彦が高知に来た時は必ず、中澤氏の家に泊まったという。小笠原氏は当然、高知支部に合流し長年、事務局長として支部運営を支えた。
 全国どこの支部で同じだったと思うが、地元政財界がこぞって世界連邦運動を支援した時代があった。高知支部の場合、高知新聞社長や高知大学学長までが参画する国民的運動だったのである。

小笠原氏の面白いところは、末子さんと結婚しても姓を変えなかったことである。夫婦別姓で何が悪いと考える人物だった。しかし子供が大きくなって「どうして両親の姓が違うのか」を悩み始めると、「そんなら今日から山口を名乗る」と潔く妻の姓を名乗ることになった。それから山口論文となった。

末子さんの家業は万年筆屋「白亜堂」。「家業はぜんぜん手伝いません。お客が店に来ても口もきかんのです」「世界を廃藩置県せにゃならんというのが口癖でした。全国の同志と交流する日々で何冊も世界連邦に関する本を執筆しました」。

有名なのは『次の時代の行動原理』なのだそうだが、近いうちにお借りすることになっている。(伴 武澄)

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