2015年1月19日月曜日

大会宣言「市民一人ひとりができる社会運動を」



大会宣言

 今年のブロック大会は高知県馬路村の上治堂司村長を講師に招き、「村おこしと世界平和」について語ってもらった。狙いは村社会の経済的自立が人々の心をどのように穏やかにさせるかということである。村の経済という誰もが議論し関心が持てるところまで運動の目線を下げてみようという試みでもある。
 世界連邦運動は70年近い歴史を持つが、国内ではかつての熱い思いはない。前会長の植木光教氏は「2020年までに世界連邦を実現しよう」と旗印を挙げたが、その後、運動に進展があったとは思えない。
 世界連邦運動の理想は戦争の廃絶にある。先人たちにあったのは「国家がある限り戦争はなくならない」という思いであったに違いない。しかし、いまや人類が抱える問題は戦争だけではなくなっている。地球温暖化やエボラ出血熱など感染症の拡散といった問題解決も人類共通の課題として立ちはだかっている。
 いま我々が問われているのは、市民一人ひとりができる社会運動の提案ではないだろうか。愛媛県にはカンボジアでの地雷撤去を地道に進めている元自衛官がいる。香川県ではカンボジアの貧困に長年取り組んでいる女性たちがいる。徳島県でザンビアで医療支援をしている医師がいる。高知県でもラオスの学校をつくり続けている高校があり、タイ北部で孤児救済に取り組む青年がいる。
 目立つことではないが、小さな運動の一つひとつがやがて大きな運動のうねりとなって行くことに期待を寄せたい。
 四国ブロック大会はこれまで、原発の廃止や尖閣諸島の無国籍化を大会宣言に掲げた。昨年は「世界連邦運動四国八策(仮称)」の策定を宣言した。これまでの提言を引き続き掲げながら、実りのある運動を一つでもつくりあげていく必要性について確認し、その取り組みに着手すべく決意し、ここに宣言する。

2014112
41回世界連邦四国協議会総会
2014年世界連邦四国ブロック大会

山口末子さんをしのんで

「松岡さん、若い人を世界連邦に入れてよ。」と、22年前の平成5年に初めてお会いして以来、私を見るたびに仰っていた山口末子さんが1月2日に満100歳の長寿を全うされました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

山口さんは常にお着物を召されていました。細身の華奢なお体に草履履きのお姿は、全国の世界連邦運動家の間で知らぬ人がいない程でした。世界大会だけでなく観光などで世界中を回られ、外国の方から「一緒に写真を」とせがまれたと聞いています。“老後”に行く予定だった近場の「台湾」のみを残され、とうとう彼岸に旅立たれました。台湾旅行をご一緒できなかったのが残念です。
山口さんを半世紀もの間、世界連邦運動に導かれたのは、夫の小笠原論文氏でした。小笠原氏は「将来夫婦別姓の時代が来る!」と男女の「独立平等」を実践された先覚者であり、氏の世界連邦運動論は同じく「独立平等」で整然と貫かれており、指導を受けた青年の昭和62年7回忌追悼文には「20世紀の土佐が生んだ最高の哲学者だ」とあります。女性の細腕での繁盛ぶりは地元でも有名で、「万年筆の白亜堂の山口さん」で通っていました。5日の葬儀では、高知県一のアーケード街「帯屋町」のいくつもの組合から寄せられた花輪と共に、我が世界連邦運動協会海部俊樹会長の花輪が山口さんへの深い感謝の気持ちを告げていました。

私の20年の世界連邦運動の歩みは、山口さん抜きには語れません。四国ブロック大会や日本大会への同行、湯川スミ会長を囲んでの懇親会、高知市郊外に夫・論文氏が開墾された「自興山」での竹の子会等など、楽しい思い出ばかりです。「山口さん、あなたとの約束どおり、若い同士を発掘し、学生たちの世界連邦教育にも励んでいますよ。昨年の四国ブロック大会では同窓の馬路村村長の上治堂司氏に講演していただきましたよ。これからも高知ならではの貢献をお約束いたしますので、どうかご安心ください。ありがとうございました。」