2015年1月19日月曜日

山口末子さんをしのんで

「松岡さん、若い人を世界連邦に入れてよ。」と、22年前の平成5年に初めてお会いして以来、私を見るたびに仰っていた山口末子さんが1月2日に満100歳の長寿を全うされました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

山口さんは常にお着物を召されていました。細身の華奢なお体に草履履きのお姿は、全国の世界連邦運動家の間で知らぬ人がいない程でした。世界大会だけでなく観光などで世界中を回られ、外国の方から「一緒に写真を」とせがまれたと聞いています。“老後”に行く予定だった近場の「台湾」のみを残され、とうとう彼岸に旅立たれました。台湾旅行をご一緒できなかったのが残念です。
山口さんを半世紀もの間、世界連邦運動に導かれたのは、夫の小笠原論文氏でした。小笠原氏は「将来夫婦別姓の時代が来る!」と男女の「独立平等」を実践された先覚者であり、氏の世界連邦運動論は同じく「独立平等」で整然と貫かれており、指導を受けた青年の昭和62年7回忌追悼文には「20世紀の土佐が生んだ最高の哲学者だ」とあります。女性の細腕での繁盛ぶりは地元でも有名で、「万年筆の白亜堂の山口さん」で通っていました。5日の葬儀では、高知県一のアーケード街「帯屋町」のいくつもの組合から寄せられた花輪と共に、我が世界連邦運動協会海部俊樹会長の花輪が山口さんへの深い感謝の気持ちを告げていました。

私の20年の世界連邦運動の歩みは、山口さん抜きには語れません。四国ブロック大会や日本大会への同行、湯川スミ会長を囲んでの懇親会、高知市郊外に夫・論文氏が開墾された「自興山」での竹の子会等など、楽しい思い出ばかりです。「山口さん、あなたとの約束どおり、若い同士を発掘し、学生たちの世界連邦教育にも励んでいますよ。昨年の四国ブロック大会では同窓の馬路村村長の上治堂司氏に講演していただきましたよ。これからも高知ならではの貢献をお約束いたしますので、どうかご安心ください。ありがとうございました。」

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